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タオと猫の庭

新しい年に。 /心に残った二冊

風邪をひいてしまい

布団の中であれこれ取り留めなく考えていました。

風邪にもかかわらず、うれしいことがあったので、とても穏やかで幸せな気分でした。


昨夜、ふと、こどもの頃の風景が思い浮かびました。

NHKみんなのうたで流れていた「腕白マーチ」と言う歌が大好きで

弟や友だちと唄いながら、川に沿って海まで行こうとしたことがありました。

小学校の三年生くらいの頃だったでしょうか。

歌詞の中の「道なき道を突き進む」と言う言葉がなぜかとても好きだったんだなあ。

でも実際は、日暮れとともに、しょんぼりマーチで帰って来ました。

ずーっと行けば海に行けると思っていたのだけど

信州のまんなか、あまりにも海に遠い場所で、いったい何を考えていたのやら。

子どもって、ほんとにおかしいです。


別のある日、迷子にもなりました。

友だちの家に遊びに行き、帰り道がわからなくなったのです。

いつもは山があるから方角がわかるのに、曇っていて山が見えなかったので

どっちがうちの方角かまったくわからない。

心細くて泣いていたら、二歳上のお姉ちゃんたちが通りかかり、うちのそばの川の所まで

送ってくれました。照れくさくてずっと泣いてたけど、心の中ではとてもうれしかった。

人生で一番不安なこととうれしいことをそのときいっぺんに体験しました。

あのお姉ちゃんたちにちゃんとお礼を言えてなかった気がする……

四十年以上もたって、気がついても遅いけれど。

迷子になるってほんとうに、不安で恐ろしいこと。

そのあと迷いそうになることはあっても、だれかが必ずそばにいたし、
ほんとうの迷子にはならなかったし、大人になると体験が不安を吹き飛ばしてくれるし…

あれは、一度きりの貴重な体験。


おぼつかなくなった頃に、また迷子体験をするかもしれないけれど

当分は大丈夫かと思います???
 
 ※  ※  ※

暮れに読んだ本の中で、心に響いた二冊です。

畠山さんの「中村修二の反乱」。
木内昇の「櫛挽道守」。

どちらも綿密な取材力に舌を巻きました。
しっかりした土台の上を信念の馬車が駆け抜けていくといった感じの本でした。
中村修二の本当の姿を見たような気にさせられたのはすごいと思ったし、
日本社会の本質を中村さんが鋭い目で分析しています。
大学受験の仕方が、そのまま、日本社会の腐敗部分につながっているんだなあ。

中村さん自身は、丸暗記がいやで、得意の数学も公式を覚えずに、
考えぬいて公式に辿りつくという、ふつうの人とは逆の方法で勉強していたというのは
なるほどと思いました。そんな発想ができたら、わたしも数学がもう少しましになったのでは。
好きなことを好きなだけすればいい、と言うのは乱暴なようですが、とてもしあわせな考え方です。
何でも程々に…では育つものも育たない……だれもが天才になれるわけではないけれど。
才能の突出は羨望のもとにもなるけれど、それを認めることこそ
「みんなちがってみんないい」と言うあの言葉にいきつく。

最後に中村さんのお父さんを訪ねたシーンで終えたのがとても畠山さんらしいまとめ方だなあと
ほっこりしました。
 

『櫛挽道守』は、木曽に伝わるお六櫛を作る女職人の話。
楽しみにしていたので、最後の最後に取っておいて、大事に読みました。
林真理子が「動かない女の物語」と評していたのがおかしかったです。
「手に職を持たせた主人公なら江戸とかに旅立たせたくなるものだけれど、
筆者は全然仕事場の狭い空間から主人公を動かさない」と。
それでいて、彼女の周りでは、大きく時代が揺れ動いていてドラマチックです。
彼女自身が、物語の軸になっているんですね。

ぜんぜん違う内容の二冊だけれど、見事に響き合ったのは
世間の常識や人の動向に左右されずに自分を貫き通した人物が
ブレのない視点でていねいに書かれていたからです。

迷子ということにまた戻れば、

物理的でない精神的な迷子にならないためには
自分の軸を持つということ。
自分が辿る道が見えているかどうかということなのかもしれません。

宗教や

仕事や

信念や

好きなことというのは、

きっとその道標なのでしょう。

でも、人生とは、とてつもないことを成し遂げることだけでもない。

残っただれかの心に何かを残すこと。

絵本の「忘れられないおくりもの」のような。


「人生の終わりに残るものは、我われが集めたものでなく、我われが与えたものである」

いうシャンドリーの言葉が思いだされます。

わたしは名付け親のおばあちゃんに、

会うたびに「いい子やいい子や」と口癖のように言われて育ちました。

さすがに大人になってからは言われなかったけれど、
今度はわたしの子どもたちが、同じようにその言葉をかけてもらっていた。

おばあちゃんを思うとき、あの笑顔と「いい子や」という声が思い浮かびます。

だいじなものをもらったなと気づいたのは、やはり四十を過ぎてからでしたが。

わたしは、あんないいものを与え続けられるか自信はないけれど、

だれかに何かを与えることは

昔よりずっと楽にできるようになった気がします。
by f-azumi | 2015-01-03 10:28 | 暮らし
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