タオと猫の庭

「思い出のマーニー」

映画を観に行く予定の方は読まないでくださいね。

あらすじがところどころ書かれています。


    *   *   *   *   *


ジブリの映画公開のまえに原作を読みました。

本はもう図書館へ返却してしまい、詳細は記憶のかなたですが

主人公アンナのかたくなな心が、不思議な仕掛けによってほどけて行く様子が

印象的でした。

「自分は愛されているのか」ということが

子どもにとって(大人の場合にも)どれほど大事なことか、が核になって物語は進行する。

両親を交通事故で失くし、養父母に育てられているアンナ。

養育費をもらって養父母が自分を育てていることを知ったアンナは

自分に注がれる愛がすべて、お金のためではないかと疑い素直に甘えることができない。

感情を殺し、仮面をかぶって、心を隠す。

アンナの孤独という傷を埋めるために現れるのがマーニー。

互いに惹かれあう二人。永遠の友情を誓い合う。

けれどマーニーは時を越えてやって来た、アンナの祖母。

祖母という隔世の存在が、アンナを現実の困難から救い出すのも

昔話の典型のようで興味深い。

「トムは真夜中の庭で」や「西の魔女が死んだ」と類似の手法。
(西の魔女は現実だけれど、閉ざされた空間という意味で、異次元かも)


ファンタジーの舞台構築はむずかしい。
書く時いつもそこでつまずいてしまう。
きちんと書いたつもりでも、書き進めるうちにいくつか矛盾点が出てきてしまう。

マーニーの中にも矛盾点はいくつかあった。

でもそれを考え出すと、物語の楽しみは半減してしまう。

「信じるということを信じること」

不思議な話を「それはおかしい」と理詰めで細部をあげつらって読むのがどんなに愚かしいことか

それは書く場合にも同じことがいえるのだと、改めて思いました。

不思議なことを信じる力が、昔の人に比べて現代人は劣っているのかもしれません。

賢さは、時には愚かさになる。賢さというのは、物語に不要な知識のことです。

わたしはイギリス児童文学に漂うあの雰囲気(ちょっと気取って皮肉で牧歌的)が好きなので

舞台設定を日本に変えられると、ちょっとがっかりします。

「床下の小人たち」、アリエッティのときもそうでした。


いくら似ている部分があっても、その国のその国らしさ(その国の人らしさ)は

その国を舞台にしなければ伝えきれないのではないかと思います。別物になってしまう。

別物と割り切って、見るしかないのかな。

アリエッティは、空間移動をすごく楽しめた映画でしたが……。


亡霊の存在が似合う国、イギリス。日本の幽霊とは、似ているようでちょっと違う…かも。

祖母のマーニーによって、人への信頼を取り戻したアンナが、しめっ地屋敷に引っ越してきた

家族に打ち解け、仲良くなっていく様子は、読んでいて気持ちよかった。

ときおりのぞく階級社会の名残も、物語をふくらませている気がする。

マーニーはアンナを助けようと出てきたわけではなく、マーニー自身も孤独を抱えている。

その孤独な魂が惹かれあったところが、切なくて秘密めいていてひりひりした。

謎は、マーニーの日記によって最後に解けます。

その場面では、アンナになりきっていた自分自身が

声をあげて叫びたいような泣きたいような、言いようのない幸福感につつまれました。

たぶん映画は見に行かないと思います。
by f-azumi | 2014-06-27 21:15 |
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